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<松井秀喜引退>ゴジラ伝説、終幕…「4番の誇り」貫く
【ニューヨーク小坂大】日米20年間のプロ生活で通算507本塁打を放ち日本が誇るスラッガーだった松井秀喜外野手(38)が27日(日本時間28日)、現役引退を表明した。
当地で行った記者会見の冒頭、松井は「甲子園に出場して小さなころの夢を達成した」「巨人は古里」「ヤンキースは家族」と自らが歩んだ足跡を振り返った。
小学生で兄を追って野球を始めて抱いた目標が「甲子園出場」。92年夏の大会の明徳義塾戦で強打を警戒され、5打席連続敬遠を受け、名前を一躍全国に知らしめたのがスター選手としての「ゴジラ」の始まりだった。
巨人入り後、松井を育てることを使命のように感じた長嶋茂雄監督(当時)からは「ジョー・ディマジオのようになれ」と言われたことがヤンキースを意識したきっかけとなった。巨人では4番打者を担い「非常に誇りに思っているし、責任を持ってプレーした」と松井。その誇りを胸に10年前に大リーグへの挑戦を決断した際「命がけでプレーする」と誓っていた。
「チームが勝つことが自分の喜びであり、ファンも喜ぶ」と言い続けたひたむきのプレーは7年間ともに戦ったヤンキースのジーターに「彼はいつも自分の仕事に集中した。大いに尊敬している」と言わしめた。その後に所属したエンゼルス、アスレチックス、レイズの首脳陣も松井の打撃にかげりが出てもなお、その姿勢がチームにもたらす好影響を期待して獲得した。
巨人の4番の誇りと、そこから生まれた「命がけ」の覚悟は10年後に引退を決めた理由にもなった。今年は34試合に出場して打率1割4分7厘、2本塁打、7打点。松井は「結果が出なくなり、命がけのプレーも終わりを迎えた」と心境を語り、待望論のあった日本球界への復帰も「多くのファンが10年前の姿を見たいと期待する。正直言って、その姿に戻れる自信は持てなかった」と否定した。
長嶋氏は「大好きな野球を続けたいという本心より、ファンの抱く松井像を優先した決断」と思いやった。現役続行に望みがなければ、8月にレイズを自由契約になってから決断は長引かないだろう。それでも思いを断ち切った松井は「自分なりに精いっぱいプレーしたつもりだし、野球の面白さと素晴らしさは伝えられたかもしれない」と振り返った。
小学生で兄を追って野球を始めて抱いた目標が「甲子園出場」。92年夏の大会の明徳義塾戦で強打を警戒され、5打席連続敬遠を受け、名前を一躍全国に知らしめたのがスター選手としての「ゴジラ」の始まりだった。
巨人入り後、松井を育てることを使命のように感じた長嶋茂雄監督(当時)からは「ジョー・ディマジオのようになれ」と言われたことがヤンキースを意識したきっかけとなった。巨人では4番打者を担い「非常に誇りに思っているし、責任を持ってプレーした」と松井。その誇りを胸に10年前に大リーグへの挑戦を決断した際「命がけでプレーする」と誓っていた。
「チームが勝つことが自分の喜びであり、ファンも喜ぶ」と言い続けたひたむきのプレーは7年間ともに戦ったヤンキースのジーターに「彼はいつも自分の仕事に集中した。大いに尊敬している」と言わしめた。その後に所属したエンゼルス、アスレチックス、レイズの首脳陣も松井の打撃にかげりが出てもなお、その姿勢がチームにもたらす好影響を期待して獲得した。
巨人の4番の誇りと、そこから生まれた「命がけ」の覚悟は10年後に引退を決めた理由にもなった。今年は34試合に出場して打率1割4分7厘、2本塁打、7打点。松井は「結果が出なくなり、命がけのプレーも終わりを迎えた」と心境を語り、待望論のあった日本球界への復帰も「多くのファンが10年前の姿を見たいと期待する。正直言って、その姿に戻れる自信は持てなかった」と否定した。
長嶋氏は「大好きな野球を続けたいという本心より、ファンの抱く松井像を優先した決断」と思いやった。現役続行に望みがなければ、8月にレイズを自由契約になってから決断は長引かないだろう。それでも思いを断ち切った松井は「自分なりに精いっぱいプレーしたつもりだし、野球の面白さと素晴らしさは伝えられたかもしれない」と振り返った。
毎日新聞 12月28日(金)17時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121228-00000097-mai-base
(ニュース元)
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